何も知らない私たち

藤村靖之さんという人を知った。

非電化工房というところを知った。

電気を使わなくてもいい家電(?)を知った。

 

今自分が使っている電気量を知った。

そのために払っている犠牲を知った。

私は何も知らなかったことを知った。

 

出会ってしまったからには動こう。

知ってしまったからにはもう無視はできない。

変化のタイミングは今。

出会いの神様に感謝してその道を進もうと思う。

 

あたたかい日

今日は注文したメガネを取りに行く日。

電車に揺られてガタンゴトン、ガタンゴトン。

 

この間子どもが

モノレールに乗りたい

と言うので、

モノレールに乗るためだけに

モノレールに乗った。

 

結構、ゆっくりしてるのね。

かたたん、かたたん。

 

周りの景色も歩きながら見てるみたい。

通り過ぎるビルも窓の向こうまで丸見え!笑

のーんびりした空気が流れてて、

なんかよかった。

 

その後いつものJRに乗って帰ったら、

その速いこと速いこと!

ぐぃーん!ガタタタン!ガタタタン!

シュー!キキキキィー。

なんかわたわたしちゃって心臓ばくばく。

 

気持ちのスピードも

乗り物に合わせようとするのかな。

モノレールではのんびり気分

いつもの電車は焦り気分。

 

モノレールみたいなスピードで

気持ちよくお散歩してるような歩みで

まわりの空気を楽しみながら

生きていけたらしあわせだなぁ。

 

乱視ではなく外斜視!?

子供が私のメガネをびろーんと広げてしまったので、せっかくだから新しく作ろうと思い眼科に行きました。

 

以前から気になっていた梶田眼科。

楽に見えるメガネが作れると以前NHKでやっていたので、一度診てもらいたいと思っていた。

 

行ってみて検査を受けたら思いもしない一言。

「目がちょっと外に向いてますねー。」

 

え?

 

どうやら軽い外斜視とのこと。

ピントを合わせるには真ん中に目を寄せないといけないので、普通の目より疲れるらしい。

ものが2つに見えるのもこれが原因とのこと。

今までメガネを使いはじめて約20年、このぼやけはずーっと乱視だと思っていた。

 

治療用として遠近両用眼鏡を作ることに。

仕上がりは年明け。

見え方は楽になるか?楽しみだなー。

欲しい仕組み

子供がいるといろいろなことが予定通りにはいかない。

仕事もしたいけれど、それで家族の負担になるのもなんか違う。

そのちょうどいいバランスの中で参加できる仕組みがないかな、と思っているのだけど、

なかなか自分の思うものには出会えなかった。

 

パターンオーダーのように、美味しいところ、

欲しい部分をちょうどよくピックアップできて、

かつやりがいやお金も得られたらいいよね。

みんな幸せ、みんな助かる。

そんな仕組みを作りたい。

分けることは見る世界を決めること

昔よく母に怒られた。

「油物とそうじゃないお皿を混ぜるな。」

当時はよくわからなくてあまり言いつけを守らなかったけど、

今や私も家族に同じことを言っている。

 

お皿を洗う時のルールは人によって違うみたい。

旦那は大きいお鍋やボールから洗う。

その方がスペースが広くとれて洗いやすいんだって。

私は同じ皿をまとめて仲間分けしてから洗う。

その方が洗ってから立てかけるのが楽だから。

 

お皿ひとつとっても分け方は色々。

分けることによって際立つ特徴が変わる。

それによって何か頭の中の処理が早くなるから

イコール楽って感じるのかな?

 

最近部屋の片付けをすすめているのだけど、

色々なモノが混在していたところで、

まずはカテゴリ分けをしてみた。

 

文房具

手芸用品

紙類

写真・カメラ

 

そしたら部屋の中にあったものの総量は変わらないはずなのに、

散らかってる感がだいぶなくなった。

部屋に入った時の不安感がぐっと減ったというか、

やらなきゃ〜!!という焦りとかがなくなったというか。

目から入ってくる情報が整った感じというか。

 

なにがいいたいのか散らかってしまった。

 

要は分けることによって頭の中もあるルールにのっとって見るようになり、

その結果として考えとか行動とかが整うってこともありますねって話でした。

久々の更新 最近の興味

こんなところに書き物をしていたのを見つけて驚き。

全然継続はしていなかったみたいだけど。

 

最近は色んなこと勉強したいなぁと思っています。

特に日本のこととか。

この間初めて古事記を読みました。

漫画で書いてあるとってもゆるい感じのやつ。

でもすごくわかりやすかった!!

 

ただでさえ神様の名前とかややこしいし、

いっぱい出てくるのに、

難しい文章でつらつら書いてあったら100%挫折するわ…。

まずは漫画で大枠を抑えて、そこからまた別の書籍で肉付けしていくのが良いのかと。

 

そういう意味ではとりあえず古事記は骨格を抑えた!やった^ ^笑

 

古事記を読むと、色々な神社に祀られている神様も気になってきたりします。

いつも行っているあの神社の神様の名前がこんなところに出てくるのか!とか。

神様の世界という遠いところの話が、自分の身近なところに繋がってくるのがまたとても面白い。

 

もっというと、神様をずーーっと辿って現代まで来ると、天皇陛下まで繋がってる!

なんとなく聞いたことはあったけど、古事記を読んでなんか腑に落ちたというか、実感を伴う驚きと感動というか!

今、令和元年にそういうことを感じることができて、いいタイミングだったと思う。

怒りは自分で作り出している

主人のことをここではエイタと呼ぶことにする。


昨日の晩から私はエイタに腹を立てていた。

きっかけは、泣いている我が子を心配している私に言った一言「気にしすぎなんじゃない?」


わかってる。考え過ぎて辛くなる私のことを心配して、そんなに心配しなくても原因はお腹空いてるとかオムツ濡れたとかで、重大な病気かとかじゃないから大丈夫だよって、そう言ってくれたってことはわかってる。けど、どうにも苛立ちを抑えられなかった。


相手の言ったことをどう受け取るかは自分次第。きっといつものエイタからしたら、私のことを心配して言ってくれた言葉だ。


でも昨日の私はそれをひねくれた心で受け止めたがった。つまり「何ムダな心配してんの?」と解釈したのだ。


なぜ頭では誤解だと理解しているのに、間違った理解をしたがったのだろう?腹を立てたがったのだろう?わざわざケンカをしたがったのだろう??


そのあと一人で自問自答してみた。


エイタは家事全般をこなせる出来る旦那である。おまけに1ヶ月の育休を取ったことで、子どものお世話もいろいろとやってくれる。ありがたい話だ。実にありがたい。


けれど、私はそれが寂しかったことに気づいた。


私は外で働いていない。家事もほとんどエイタに任せている。その上子どものお世話もしなくてよくなったら…ただの母乳バーでしょうか?


とにかく、頼られない状況が悲しかった。

必要とされてないのがつらかった。


そこで問題の一言を言われた時に、ひねくれ心が出てきた。


(そんなにムダな心配もせずに育児ができるなら、どうぞお一人でなさってくださいな。)


そんなことしても誰も幸せにならないのに。

私もエイタも子どももみんな悲しくなるだけなのに、その時はそうしたくて仕方がなかった。私を寂しくさせたことへの小さな復讐だったのかもしれない、大袈裟だけど。


ほんとうは存在しなかった怒りを無理やり作り出してることはないですか?

それは周りの人を悲しませていませんか?