怒りは自分で作り出している
主人のことをここではエイタと呼ぶことにする。
昨日の晩から私はエイタに腹を立てていた。
きっかけは、泣いている我が子を心配している私に言った一言「気にしすぎなんじゃない?」
わかってる。考え過ぎて辛くなる私のことを心配して、そんなに心配しなくても原因はお腹空いてるとかオムツ濡れたとかで、重大な病気かとかじゃないから大丈夫だよって、そう言ってくれたってことはわかってる。けど、どうにも苛立ちを抑えられなかった。
相手の言ったことをどう受け取るかは自分次第。きっといつものエイタからしたら、私のことを心配して言ってくれた言葉だ。
でも昨日の私はそれをひねくれた心で受け止めたがった。つまり「何ムダな心配してんの?」と解釈したのだ。
なぜ頭では誤解だと理解しているのに、間違った理解をしたがったのだろう?腹を立てたがったのだろう?わざわざケンカをしたがったのだろう??
そのあと一人で自問自答してみた。
エイタは家事全般をこなせる出来る旦那である。おまけに1ヶ月の育休を取ったことで、子どものお世話もいろいろとやってくれる。ありがたい話だ。実にありがたい。
けれど、私はそれが寂しかったことに気づいた。
私は外で働いていない。家事もほとんどエイタに任せている。その上子どものお世話もしなくてよくなったら…ただの母乳バーでしょうか?
とにかく、頼られない状況が悲しかった。
必要とされてないのがつらかった。
そこで問題の一言を言われた時に、ひねくれ心が出てきた。
(そんなにムダな心配もせずに育児ができるなら、どうぞお一人でなさってくださいな。)
そんなことしても誰も幸せにならないのに。
私もエイタも子どももみんな悲しくなるだけなのに、その時はそうしたくて仕方がなかった。私を寂しくさせたことへの小さな復讐だったのかもしれない、大袈裟だけど。
ほんとうは存在しなかった怒りを無理やり作り出してることはないですか?
それは周りの人を悲しませていませんか?